無性としての自然(スナイダー詩集 ノー・ネイチャー引用)

無性としての自然。どんな人間社会にも、それぞれに愚劣な流行、集団幻想、そして人を力づけるような神話などをもっている。日常の生活も、なんとか今までどおりに、やって行けている。野生の自然でも、話は似たようなもの、すべておなじみの風景の中で、それこそ数限りない種類の生き物が、なんとかやりくりしている。多分同じくらい馬鹿げたものにちがいない。自然とは、同時に、物理的宇宙を、も意味し、それは、都市的なもの、産業的なもの、有害なものを含んでいる。けれども、ぼくたちは、そうやすやすと、「自然」を知る訳ではない。ぼくたち自身のことでも、本当に知っているかどうか、怪しいものだ。実際にそれが何であろうとも。、それをぼくたちの概念や前提にはめこむことは出来ない。はめ込もうとすればぼくたちの期待や理論的基準をきらって、そいつはサッと身を殺すだろう。この世には、「自然界」としての「NATURE」も「物事の性質」としての「ネイチャー」も、何一つとして型にはまり固定されたものではないのだ。ぼくたちが自然に対して払える一番大きな敬意は、自然を罠にかけて動けなくするようなことをしないで、それが、ぼくたちの手ではなかなか捕らえにくいこと、そしてぼくたち自身の性質(ネイチャー)もまた流動的であり、開かれていて、そして条件付きである事実を受け入れることにほかならない。
この詩は、海に対する畏敬の念と、人を客体として見たときの人間の謙虚な姿勢の大切さを再認識させてくれます。4年生が1つの区切りとしてその役目を果たし終えた今、僕たちはもう一度こういった姿勢で海に臨んでいくことが必要なのだと思います。
4年生の方々、お疲れ様でした!
現役3年 井口和宏

無性としての自然(スナイダー詩集 ノー・ネイチャー引用)」に2件のコメントがあります

  1. 4年生の引退の時期については様々な段階があると思いますが、近年では7月のこの時期にひとまず「練習お疲れ様でした」という区切りが認められているようです。
    もちろん、4年生の方には夏の練習・クルージングで企画・運営などトップとしての重責がありますが、その意識を3年生に夏から持たせようとの配慮だと私は理解しています。
    3年 井口和宏

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