Pacific Rim Challenge 2010(カナダで親善レース)

環太平洋親善レースは、アメリカのベリンハムにナホトカからのレーシングヨットが突然訪れたことに端を発する。時おりしもモスクワオリンピックボイコット問題があった直後だった。国境の無いヨット親善レースをしようという事で盛り上がった両国の小さなヨットクラブは、太平洋という海を共有し、ちょっと渡れば隣国であるヨット仲間が一堂に集まったら、さぞかし愉快であろうという提案をした。この一見途方もない夢物語は友好姉妹都市制度に助けられ、カナダ・日本・ニュージーランド・オーストリアと輪を広げ、太平洋の潮風と共に遊ぶ海の仲間が2年に一度集まって、ヨットで走り比べをするという痛快なイベントに成長した。
日本では友好都市の関係で館山市がホストを務めてきたが、日本での開催を経験した前回の2008年以降その輪を広げる必要を感じたのか、油壺ヨットクラブにも参加者募集のポスターを張り出した。たまたまリフレッシュの為にセコンドライフをエンジョーイしようとしていた私に、そのポスターは大変魅力的に思えた。参加は200USドル。これで1週間の滞在とレース参加が約束される。あとは飛行機代だけだせば何とかなると思い、早速申し込みをしたという訳である。

以下は日記より転載
2010年6月5日土曜日
はじまり

いよいよレースモード開始。レンタカーを返してからロイヤルヨットクラブに直行した。すでに到着済みのメンバー数人。初対面の人もいる。みな飛行機の旅で お疲れの様子。やがてホストファミリーの方が登場。1週間の我が家へと案内された。車はバックヤードのガレージへ。予想通り、恐ろしく広い。二階建て、部 屋は8つぐらいか。また、ひとつずつの広さが半端ではない。窓からハーバーのある湾が見下ろせる。歩いても15分ぐらいか。こんな処に済んだら年間の半分 以上は船に行くに違いない。羨ましい限りである。夕食は気を遣っていただいて、ご飯。日本食にこだわらないと告げる。ご主人は80歳以上とか、全くそう見 えない若さだ。元エンジニアだそうで、ガレージの奥に立派な工作室を持っていて、船の冷蔵庫室を自作していた。なんだか、違う時間が流れている。日本選手 団は一日早く到着したので公平を期すために明日はレイディとなった。

ホストファミリーのバックヤード
毎日が海を見ながら過ごす生活

2010年6月6日日曜日
明日開幕

朝は早く目覚めてお散歩。家の前には鴨がいた。飼っているのではなく池の金魚を狙っているので早速追い払った。家から歩いて1分、芝生の真ん中に湾を眺め るのに格好なベンチが。ハーバーが見下ろせる。こんな素敵な場所は世界に幾つもないだろう。朝食を済ませ、ホストの方に市内案内をしていただく。インナー ハーバーというダウンタウンの中心は、まるで英国そのもの。南の岬からは遠くアメリカが見えた。向こう岸はシアトルである。ロッキー山脈が雄大そのもの だった。昼食は恒例のサラダとビール。次はヨットクラブへ。各国選手の半数ぐらいが到着済み。我々も早速受付を済ませた。参加はカナダ、アメリカ、オース トラリア、ニュージーランド、日本の5カ国。今回はロシアが急遽参加を取りやめた。パンパシフィックの草レースの開幕だ。船は古いデザインだが人気の Cal20、もうひとつはレース志向のJ80。日本チームは選手が11名。応援団が10名の計21名。私はCal20チームに所属。5名のメンバーのうち 3名が交替で乗る。明日はいよいよプラクティスである。

ヨットクラブに揚がった参加5カ国の国旗

2010年6月7日月曜日
オープニング

朝から雨。今日はオープニング行事だけなので助かった。まずはハーバーに行き、ホストのパワーボートでレース海面の視察。結構潮が強い。小島もたくさんあ り、別荘が立ち並ぶ。ビルゲイツの島というのがあり、さすがに規模が桁違いだった。ハーバーに帰ってからレクチュアーあり。近辺の浅瀬と潮の流れ、艇の フィティングなどの講義があったが理解度は30%ぐらい。言葉のハンディは大きい。明日かの午前が練習。午後から本戦である。シリーズ16レース中の8 レースに乗ることが決定。あとクラブレースに飛び入り参加することになった。クラブレースは水曜日の18時スタート。21時ぐらいまでは明るい。何しろこ こは北緯48度線、カラフトと同緯度なのだから。6月6日の出来事。

ホストのパワーボートでレース海面視察
事前の講習会 ほとんど理解できず
私が乗ったCal(キャル)20

2010年6月8日火曜日
レース初日

今日はレース初日。少し早起きしてハーバーへ。艇長会議なるものがあり、危険個所の確認やローカルルールの説明があった。結構今日は吹きそうだ。午前中は 練習、日の丸を掲げて出航!20フィートの小型艇はまるでディンギー。ライフラインも無い。ポジションは、まさかのバウマン。ちゃんとライジャケを着なく ては。案の定20ノットの風。スピンは中止になったが、ウイスカポールにて観音張り。スナイプを思い出す。
潮よりも強風が勝ち。穏やかに見えた船 は意外と速く。ぶっ飛んでいく。何にもないバウに行くのは恐怖だ。波が無いのが幸い。1レース目はまぐれの好スタート。アメリカ、カナダに次いで3着。 ニュージーランドとオーストラリアがそれに続く。幸先の良い初戦だった。実力はアメリカ、カナダが一歩抜きんでて、あとは団子状態。続いて2レース目、だ んだん吹きあがり22ノット以上。それでもレースは続く。結構きつい上り,全身ずぶ濡れ。2回目のダウンウインドは慣れたのでウイスカも決まった。それに しても私がバウマンとは。歳を考えるときつい。2周目でトラブル発生。下マークを回ったところで鈍い音。何とスプレッダーがぶっ飛んだ!
即タック して下す。そしてメインダウン。ジブだけでジャイブしてハーバーを目指す。ここであたふたすること無く、自力帆走可能と自信をもって宣言。アビームでハー バーを目指す。この判断はとても高く評価され、グッドジョブと後に各国から誉められた。KCC魂を発揮できたかも。これで今日のレースは終了と気も抜けた が少し安心。 インフレータブルボートに曳かれて帰港。
ところが代わりのスペアボートを用意するとのこと。鞄だけもって、また沖へ送ってもらう。 代替え艇に乗り替えたら、もう第3レーススタートの4分前。何がなんだか分からずにスタート。いきなりタックしてきたアーストラリア艇がぶつかるようにし てお尻をなめていく。風はますます上がり25ノットぐらいか。もう体力が限界でヒール潰しが厳しい。軽々船外に出ている国もあるが、ここは慎重にコクピッ トでヒール殺を殺す。なんとか2周を回り切りゴール。またまた3位。まずは順調なスタート。それにしても昨日までの軽風はどこへ行ったか。帰ってきてスプ レッダー事故の報告書書き。英語をしゃべる日本人はいるが書くのは苦手とか。仕方なく昔覚えた商社英語を使って作文。長い待ち時間があった後、審問にかけ られる。こんな経験は初めて。部屋に入ると国際審判員がいて事情聴取。ヨットの模型とブイ、風の方向の3種のチップを動かしながら事情説明。事故が起きた 時点では4位だったので、それを主張。DNFだったのが救済で4位に浮上。総合3位。もう一つのJクラスは日本人が2位。国別ではトータル3位をキープ。 このままで終盤まで行きたいものだ。

いざ出陣!
ライフラインもなくキールのあるディンギー
スプレッダーが折れて曳航中

2010年6月9日水曜日
三拍子

パシフィックリム(環太平洋)ヨットチャレンジ。名前は壮大だが、とことんの草レースである。なぜならば草レースの条件、一応まじめなレースと参加者の親睦を見事に兼ね備えているからだ。パ シフィックリムでは、15レース以上の上下レース、ホームステイによる宿泊、レースに参加しないメンバーのための遠足、この3つを必ず用意している。加え て毎晩のパティーも。今日はメンバーのやりくりの関係でオフの日だった。観覧艇に乗ることも考えたが、いっそ遠足を楽しもうとバスに乗った。カナダはどこ の家もガーデニングが盛んだが、それを象徴するようなブーチャットガーデンへ行く。ここはビクトリア一の有名観光地だ、東洋人も多く訪れていたが日本人は 我々だけだった。その後ブドウ畑をすり抜けてワイナリーへ。歴史は浅いがなかなかおいしかった。ハーバーに帰ると、日本チームの好成績が伝わってきた。軽 風ではハンデが少なく、追い詰めた様子。明日は公式のお休みなので次回は木曜日。次回に乗る私の責任は大きい。頑張らなくては!!

有名な観光地 元石切場が庭園に変身
桟橋で各国入り乱れて大パーティー

2010年6月10日木曜日
満喫!

今日は公式レイディー。ホストのご夫婦とダウンタウンへ。花の街にふさわしい綺麗な街並みに感激。ATMでお金を下ろす儀式も無事に終了。お世話になった ホストにランチをお返しした。オイスターはまあまあだったが、白ワインとシーフードパスタは美味。喜んでいただけただろうか。帰宅して束の間の昼寝タイ ム。毎週水曜日はクラブレースがあるので体験乗艇。少しは大きい船かなと思ったけれど、割り当てられたのは24フィートのライフライン無しの船。オーナー は大変背が高い。名はサイモンさん。トールサイモンと覚えたら、皆がそういうあだ名で呼んでいた。クルーは3名、中心になる同じ年頃のおじさんはジトリ マー、若手がスピントリマー。そしてバウマンのウエンディーは私より10kgは重いヤングレディー。軽々とバウをこなす。私はジブのテーリングとスピン時 のガイ担当。慣れないからとコンパニオンウエイに陣取りお客さん待遇かと思えば、ハリヤードのアップダウンに始まり、恐れていた乗り出しのハイクアウトを 命じられる。なんてたって、ライフラインがないので、どこにも捕まるところがないので命がけ。それでもお世辞だろうが、グットセンス、グットジョブを連発 してくれた。スターボーの声も2度ほど浴びせることができた。最終レグは同型艇と競り合い。下から上せば、すかさずジャイブを入れてくる。こちらも応戦。 鼻の差で先着。気持ちのいいレースだった。風は20ノット弱の順風。迷っていたがジェノアを張りきるファイトに感服。船を降りる時に全クルーが良くやった と私の事を誉めてくれた。バウウーマンのウェンディーちゃん曰く、あなたの英語も素晴らしいとのこと。気を良くしていたら、私の日本語より遥かに好くでき てるとのお言葉。ちなみに日本語は何を知ってるかと尋ねたら、ヨコハマ、ヤキトリ!!とのこと?!。今日は日本人と乗るより数段楽しかった。これで帰って も悔いは無いかもしれない。それぐらい楽しかった。最高のロケーションと素敵なヨットマン達に乾杯!!やっぱり早期退職して正解!!

花の街 ビクトリア
上架も下架も自分たちで いざクラブレースへ
またしてもライフラインの無い24フィート
毎週水曜日の晩はクラブレース 3クラスに別れて 50杯ぐらい

2010年6月11日金曜日
浮上!2位!!!

今日は2回目の乗艇日。レースは追いこんで消化しているので、今日が私にとっての最終レースとなった。本日は4レースを消化。前日までカナダ、アメリカに 次いで3位だった。僅差でニュージーランドとオーストラリアが追従している。国際的な草レースといえども、運営はぴか一。風の振れに従って素早くマークを 打ちかえる。かなりレベルの高いレース運営だ。日本は今まではブービーメーカーだったらしいので、参加国は皆いい意味で好意的だったようだが、今回は違 う。ヨット先進国と五分の勝負ができるのだ。各国の視線を浴びる。本日の初めの3レースは微風、軽風。湾内のショートコースだ。今日もまたしてもバウマ ン。スピンジャイブをいかにスムーズに決めるかが課題。いくつか失敗もあったが、終盤はノーミスのジャイブワークを見せることができた。第3レースでは待 望のファーストフィニッシュ。あともうまくまとめることができた。特に本日最終の第4レースは沖にコースを移して20ノット前後の強風レース。オーストラ リアなどはスピンを諦めたが、ジャパンチームはスピンランに挑戦。心配されたジャイブも綺麗に決めた。結果は3位。総合成績では、アメリカを抜いて2位に 浮上!!どの国も日本チームの活躍に賛美の言葉をくれた。レースを上がってクラブの芝生で飲むビールの味は最高!夜9時まで明るいので、家に帰ってジント ニックを一杯。ジョージア海峡を渡る潮風が極上のつまみだった。

慣れないバウワーク ちなみにこれは練習風景 レースは3名乗艇なので忙しい
この時点ではカナダに次いで2位に浮上
クラブハウス前の芝生でくつろぐ日本チーム
ジョージア海峡を渡る潮風がジントニックのつまみ

2010年6月12日土曜日
ファイナルレース

ついにカナダ滞在もあと一日を残すのみとなった。最後なので早起きして朝のお散歩。近くのビクトリア大学の学生寮へ。庭には野うさぎさんがごろごろいる。 草を食べたり、伸びをしたり、あまり人間を怖がらない。かわいいものだ。帰りは浜辺を歩く。あるのは、カモメさんの足跡と流木だけ。静かに時が流れてい た。朝食を食べてハーバーへ。今日はレース観覧艇に乗る。47フィートのヨットだ。キャビンは豪華で至れりつくせり。ご夫婦で軽々と大型艇を操る。手慣れ たものだ。このオーナーはセーリング好き。機走ではなくセーリングでレース見物。ヘルムをとらされた私は、レースの邪魔をしないか気が気じゃない。日本 チームは健闘むなしく、少し順位を落とした様子。結果発表は明日のフェアゥエルパーティーまで持ち越された。明日は午前の便の飛行機に乗るので、最終成績 を知るのは帰国後のお楽しみとしよう。長いようで短かったカナダ滞在。そして素晴らしいこのパシフィックリムレース。大いに楽しんだ。社会人生活の卒業旅 行のよう。2年後のオーストラリアまでに体力も気力も鍛えておかなくては!!

ビクトリア大学の構内には野ウサギが
渚を歩けばカモメの足跡
47フィートヨットでレース観戦
ご夫婦だけで47フィート艇を軽々と操る
がんばるJ80 先行する日本チーム

2010年6月13日日曜日
帰国

楽 しかったカナダのレースも終了。たった2週間だったが、それすら休みが取れぬ悲しい日本の実情。最終成績は地元カナダがダントツで1位、ニュージーランド と日本が同点2位なれど着順で1位が多いニュージーランドが上にいって、日本は総合3位、続いてアメリカが僅差で4位。そしてずっと最後を走っていたオー ストラリアが5位。残念ながらロシアは不参加。でも、そんな順位なんてどうでもいい。これはワールドカップでもオリンピックでもない純粋な草レースなのだ から。パンヨットレースをやって国境のない友好関係を築こうというのが主旨で、全くの手作り、無給のボランティアだけで 運営。従って全ての行事が友好的な中で行われた。毎朝100人分のランチを作ってくれたマダムにも感謝。最終日のフェア ウエルパーティーを出ずに一足先に帰国したのが誠に残念だった。

吹くと苦労した日本チーム やはりパワー負けか
スタートはいつもジャストだった 一番前のサングラスが筆者

辰巳 豊 (73年卒)